2017.9.12
5月1日。京都に行ってきました。
いしいしんじさんと、誠光社・堀部さんを訪ねて。
ブルックリンのジョナス&セバスチャン・メカスをボニー・エリオットと訪ねたムービーを見てもらいに。
そして先日のライブの、トレーシングペーパーの「本」にサインをもらいに。
ジョナスからのビデオメッセージを聴く、いしいさん。
そのまなざしが、フィルムを見ているときのジョナスの目とだぶって見えて、
なんだかそれだけで、ああ、よかったな、と思いました。
時間も、場所も、離れたところにいる友人と、笑いあう。
みんなで「カンパイ!」
このあと、いしいさんと堀部さんに、ジョナスへのメッセージをもらいました。
ノリノリのいしいさん。ジョナスに投げキスしてました(笑)。
メッセージはジョナスにDVDにして送りました。
堀部さんからもメッセージ。
「1970年代から、日本の書店は、メカスさんの日記を売り続けています。
まだまだ売り続けますんで、よろしくお願いします」
いしいさんが、5月1日の「ごはん日記」に、その時の様子を書いてくれています。
うれしいなぁ。
2017.8.8
4月。ブルックリンで、ジョナス&セバスチャンに会ってきました。
3月に京都・誠光社で行った、映画&その場小説のライブイベントの報告が目的です。
「その場翻訳」してくれた、ボニーと、娘のルル。父親のトムもいっしょに。
なんと、ジョナスとセバスチャンの家の目の前に、ボニーの旦那さんの妹が住んでいる、とのこと。
「あれ!」と指差すボニー。
玄関のインターフォンを鳴らすと、ジョナスがいつものように、別の入り口から現れて出迎えてくれました。
エレベーターを降りると、息子のセバスチャンと、猫のパイパイが待ってくれています。
プレゼントの花を花瓶にさすジョナス。
ジョナスは1922年生まれで、94歳。
ボニーの父親のトムは、1931年生まれで86歳。
ふたりとも元気そうです。
3月のライブの様子は、トレーシングペーパーに印刷した作品として持っていきました。左側にいしいしんじの文。右側にボニー・エリオットの翻訳。
記録映像を別の紙に印刷して、それがすけて見えるようになっています。
「ミラクルな時間だった」というボニーの話に耳を傾けるジョナスとセバスチャン。
「読むのではなく、見させてもらうよ」と言いながらページをめくりはじめたジョナス。ですが、1枚1枚、とても丁寧に「読んで」くれました。
読み終えて微笑むジョナス。カッキーも嬉しそうです。
エリオット家からのおみやげのチョコレートを選ぶジョナス。選んでいるときの楽しそうな表情が心に残りました。
「ルルにフィルムを編集する様子を見せてほしい」というお願いにこたえて、仕事場に案内してくれるジョナス。
手回し編集機がまわります。
お母さんのポートレイトがいつも目に入る場所に。
はじめてフィルムの映画をみるルル。
手回し編集機を見せてくれたあと、居間に戻ったジョナスは、ポケットから小さなカメラを取り出しました。ニコンのコンパクトなムービーカメラ。
最近は、これで録画しているそう。
このあと、トレーシングペーパーの作品にサインしてもらいました。
そして、京都の、しんじにメッセージ。
「いろんな場所から、このブルックリンにみんなが集まってきた。そして、この場所で、みんなが君のことを思っている。だから、みんなは君といっしょにいる。いま、長野の酒がここにあって、遠からずこのお酒の蓋も開くだろう。カンパイ」
みんなで乾杯。
この後、ボニーとトムに、ジョナスは「I Had Nowhere to Go」をプレゼントしてくれました。「ごめん。君には何もあげるものがなくて・・・」といったルルには・・・。
ハグをくれました。
ありがとう。ジョナス。セバスチャン。
2017.6.18
3月12日(日)に、京都の書店、誠光社で行った映画×その場小説のライブイベント。
遅くなりましたが、そのレポートです。
ジョナス・メカスは『リトアニアへの旅の追憶』(1971-1972)などの作品で知られる映像作家・詩人です。
今回は、2012年の新作『幸せな人生からの拾遺集(Outtakes from the life of a happy man)』の上映とあわせて、いしいしんじが「その場小説」を執筆。
その小説を、ブルックリンに住むボニー・エリオットが「その場翻訳」するというライブ。
企画・撮影をRocca Spieleの岡本零が担当しました。
トレーシングペーパーを重ねて吊るし、ジョナスの映画を後方のプロジェクターから投影。
前方のプロジェクターから、いしいさんの「その場小説」を上部に、ボニーの「その場翻訳」を下部に投影します。
「ボニー、きこえてる?」
「透明な字で書いているの?」
しばらく時間をおいて、ニューヨークから文字がやってきます。
「Bonnie, can you hear?」
「Are you writing with invisible ink?」
そして、物語がはじまりました。
ジョナスの映画の光をあびながら、小説を書くいしいさん。
イベント前に映画を見ることはしませんでした。
この場、この時に、物語がつむがれていきます。
物語は、ぶらんこに乗るこどものシーンと重なって始まりました。
いしいさんの小説「ぶらんこ乗り」が頭によぎります。
「ジョナス」という名前の犬が登場。
自分の名前も忘れてしまった物語の語り手が飼っていた、愛犬です。
ジョナスの家にはいつもネコがいます。
小説にも、不思議な力を持つネコ「ムーンブーツ」が登場しました。
映画のタイトルにある「Outtakes」は、使われなかったカット、を意味します。家族や友人。ニューヨークの街の人たちや、動物たち。水、木、海、空。
これまでのジョナスの映画で、カットされた断片がつなぎあわされて、明滅するように通り過ぎていきます。
そこに、適切な文章を考えているのか止まったり、漢字やカタカナを変換したり、打ち間違いを修正したり、行ったり戻ったりするいしいさんの文章。
ボニーの英語が、これも行きつ戻りつしながら、ついていきます。
京都、神戸、東京、札幌・・・。いろんな場所から集まってくれた友人たち。
「人間も波、馬も波、おとなもこどもも波」
ちょうど、満月の夜でした。
映画のなかにも、満月が。小説にも、月がのぼります。
「光のないところでみれば、月はいつだって満月なんだぜ。」
ふたつの波が重なり、小さなさざ波が生まれ、
大きくなった波が小さなさざ波に戻っていきます。
この「映画×その場小説×その場翻訳」ライブに続けて、ジョナスの映画『幸せな人生からの拾遺集』を最初から上映しました。
京都とニューヨーク、映画と小説、日本語と英語、そして様々な記憶が重なって波うつ、特別な時間になりました。
2017.3.8
3/12(日)PM8:00〜 京都・誠光社で、映画×小説のスペシャルライブを実施!
ブルックリンに暮らすジョナス・メカス。京都に暮らす、いしいしんじ。
1922年生まれの映像作家と、1966年生まれの小説家。
3月の夜、ふたりの「かけら」が混じり合います。
ジョナス・メカスは『リトアニアへの旅の追憶』(1971-1972)などの作品で知られる映像作家・詩人です。
ナチスに故国を追われた彼は、たどりついたニューヨークで16ミリのぜんまい式カメラを手に入れ、日常の風景を撮りはじめました。
「アンダーグラウンド・シネマの父」とも言われるメカスは、95歳になる現在も映画を撮り続け、自身のホームページに作品をアップし続けています。
今回は、2012年の新作『幸せな人生からの拾遺集(Outtakes from the life of a happy man)』の上映とあわせて、いしいしんじが「その場小説」を執筆。
その場小説は、ブルックリンに住むボニー・エリオットが「その場翻訳」します。
時と時、空間と空間、夜と朝をつなぐスペシャルライブ。ご期待ください。
【誠光社】
http://www.seikosha-books.com/event/2097
【当日、YouTube Liveで配信予定!】
https://youtu.be/zZqHLMitznA
ディレクション/岡本零(Rocca Spiele)
2011.6.26
ジョナス・メカスの『I Had Nowhere To Go』(Black Thirstle Press, New York, 1991)の翻訳『 メカスの難民日記』(飯村昭子訳)が、みすず書房から刊行されました。
第二次世界大戦末期、ジョナスの故国リトアニアはドイツに占領されていました。そこで反ナチ活動が発覚し、ドイツの強制労働収容所に送られます。そしてドイツが敗北。リトアニアは返還されず、今度はソ連領にされます。ジョナスは帰国をあきらめ、難民キャンプを転々とし、26歳でアメリカに亡命。この本は、1944年から1955年までの日記です。
こんな大変な経験をしているジョナスが、
「Keep dancing, keep singing, have a good drink and do not get too Serious!」
と、いま話している。勇気づけられます。
出版おめでとう!とメールをしたら、返事がきました。
「私の本を最初から最後まで1ページずつ読む必要はない。適当なページを開いて、そこを読むのがベスト」
だとのこと。
やってみると、そこのページには、こうありました。
お話
昔、神様にちょっとしたことをしてほしいと頼まれた男がいた。それはちょっとしたことなのだが、なんだったのか私は知らない。これをしなさいと、男は言われた。そうすれば、この地上はふたたび天国になるだそう。王様などいず、だれも働かなくてもよく、みんな自由で幸福だろう、等々。
さて、この男は考えつづけた。するべきか、せざるべきか。ある日するべきだと考え、つぎの日にはそれに疑問をもつ。するべきではなないかもしれないと、考える。「なぜわれわれは、天国が必要なのだろうか? 人びとがともに働く、いいことではないか? 身体にもいいではないか」。つぎの日、また男は考える。「たぶん、つまるところ、働かないというのはいいことなのではないか、なにもしないということは」
そして日は過ぎていった。男は決めることができなかった。毎日、男はそのことを考えた。そしてある日、男は死んだ。残念なことだ。男は地上に楽園をもたらすことができるはずだったのに。(P121)
2011.5.20
ジョナス・メカスさん宅訪問記の続きです。
カメラをこちらに向けて、
「どうしてあなたがたはニューヨークに来たのか?」
とたずねるメカスさん。
「RoccaがNew York ADCでシルバープライズを受賞して、授賞式と展覧会のために」とこたえると、
「コングラチュレーションズ!! 本当にすばらしい!!」と喜んでくれました。
大久保兄弟の力作Rocca Movieを見ていただいているところ。
さて、その後、プレゼントをいただいたのですが、ひとつが『Sleepless Night Stories』と題された彼の新作映画のDVD(!!)。
もうひとつが『Keep Singing』と題されたCD&DVDセットです。
「Keep Singing?」とたずねると、
「そう、なにも特別なことじゃない」と、
いきなりリトアニアのラッパをとりだして吹き始めるメカスさん。
吹き終わると、他のラッパ、そしてアコーディオンを演奏。
う〜ん。楽しい!
「僕も弾いてもいいですか?」
「もちろん!」
というわけで、弾きました。
弾き方は分からないけれど、楽しいなぁ。
あれ。
弾いているうちに、いつのまにか、一瞬、子供にかえってしまっていたようです。。。
それからメカスさんの仕事場を見せていただきました。
16ミリフィルムを手でまわしながら編集する機械。
糸をつむぐように、右手でゆっくりとフィルムを巻き取りながら、左手で微調整をしてコマを送ります。
黒い小さなボックスの奥に映し出される映像が本当にうつくしい。写真を見ているのか、映画をみているのか、その間隙をみているのかが揺れ動きます。
その後、近くのイタリアンにいっしょにランチにいきました。お昼から白ワインをオーダーするメカスさん。
これからの予定を聞くと、来月は新作映画の公開でベルリンへ、それからスペインへ、そして・・・とのこと。
「元気ですね」というと
「Keep dancing, keep singing, have a good drink and do not get too serious!」
とのこたえがかえってきました。
メカスさんのアパートメントの前で3人で記念撮影。
さよならする時、もより駅までの道順を説明してくれながら、メカスさんはムービーをまわしていました。
その時、突風が吹いて、メカスさんと僕らのあいだを、黒いゴミ袋が青空に舞い上がっていきました。
「Oh! Bye Bye!」と、空にカメラを向けるメカスさん。
見上げると、ちょうどそこに、ブルックリンの空を飛んでいく飛行機が。
「Oh! Air plane! It’s funny!!」
と喜んでいるメカスさんの様子は、まるで子供のようで、その数秒間が幸福な奇跡のように思えました。
2011.5.19
5月10日、NY ADC AWARDSの前に、映像作家・詩人のジョナス・メカスさんに会いにブルックリンへ行きました。
昨年の3月に伺った時は息子のセバスチャンもいっしょだったのですが、今回彼はグルジアに仕事で行っていて、メカスさんが直接出迎えてくれました。
「アメリカ・アンダーグラウンド・シネマの父」とも言われるメカスさんは、1922年生まれ。ということは88歳(!)なのですが、
「6月には新作映画の公開でベルリンへ。7月にはスペイン、8月は。。。」と、すばらしいバイタリティーです。
オフィシャルサイトでは、「映像日記」やこれまでの作品などを見られます。
さて。
前回うかがった時もヒゲと帽子で盛り上がったのですが、今回は自宅に着くなりメカスさんが緑色のかぶりものを!
さらにダリ髭を!!
すごいなぁ。このかわいらしさと自由さ。
チューリップの花束と、カッキーがデザインした日本酒「人気一」をおみやげに持っていきました。
カッキーがお酒を風呂敷の「花包み」でくるんでみせます。
メカスさん、最初は「いっしょに飲みましょう」と言っていたのですが、包んで見せると、
「これはとても美しい。一度ほどいてしまうと自分では包めないから、セバスチャンが帰ってきたら見せたい。それから息子とふたりで飲んでもいいか?」と相談。
「もちろん!」ということで、テーブルのチューリップと並べました。
*ちょっと長くなるので、「次回に続く」で。
2010.4.18
ジョナス・メカスの作品、Frozen Film Framesの一枚が、ロッカ・ルームにやってきました。
彼が撮影してきた膨大なムービー・フィルムの中の数コマを、スチール写真としてプリントしたもの。
そこにある日常のなんでもない風景には、ささやかだけれども大切ななにかが、細かな粒子のようにしてとどまっているようです。
メカスさんの作品は、青山のギャラリー「ときの忘れもの」にあります。
セバスチャンとはじめて会ったのも、このギャラリーでのことでした。
2010.3.14
今日はジョナス・メカスさんのポエトリー・リーディング・ライブに行ってきました。ピアノ、ドラム、サックスのバンドとのコラボレーション。
先週までニューヨークは大雪だったのですが、メカスさんは雪を惜しんで、「雪よ、とけてほしくなかった。春よ、くるな。雪よ、ふりつづけろ!」という、ものすごくパワフルな詩を吟じました。
「私はパレスチナ人だ。私のうつくしい家。うつくしいわが家・・・」と、詩は続きます。
メカスさんはリトアニア人で、第二次世界大戦の時に追われてニューヨークにやってきました。
国を追われる人の気持ちが、僕にはほんとうには分からないけれども、それを想像しなくてはならない、と思いました。
ライブが終わったあと、誘われていっしょに韓国料理を食べにいきました。おいしかった!
そこで、このあいだ大人気だったトゥルーリ正装セットを出したところ、息子のセバスチャンさんに続きこんどはジョナスさんも髭を装着!!
めちゃめちゃ楽しい夜でした。
さよならする時、メカスさんは大きくてあたたかい手で握手してくれたあと、「Continue ! (続けよう!)」と言いました。
そう、続けよう、と思います。
2010.3.10
ニューヨークに来ています。
今日は友人のフレンチコンデンサーといっしょに、映像作家・詩人のジョナス・メカスさんのお宅にうかがって、息子のセバスチャンさんといっしょにロッカしてきました。
ジョナスさんも誘ったのですが「兄たちはトランプなどのゲームをしていただけれど、私はゲームに全く興味がなかった」ということで、パス(苦笑)。
一方セバスチャンは・・・。
セ「学生の頃、コロンビア大学の医学部に行っていた友達たちと、ポーカーをよくやりました。20ドルずつ出して、いちばん勝った人が200ドルもらうのです」
ト「勝ってたんですか?」
セ「イエス、イエス」
ということで、かなり強者です(笑)。
セバスチャンは、数日前に完成したばかり、というメカスさんの新しいウェブサイトを見せてくれました。
http://jonasmekasfilms.com
ジョナスさんのこれまで撮ってきた映像や音や詩やいろいろなものごとがものすごくいっぱい詰め込まれています。
そのあとRoccaのサイトも見てもらったところ、バックで鳴っているフレンチコンデンサーの音楽を聴いて、「リズムがリトアニアの伝統音楽に似ています!」とセバスチャン。
それで聴かせてくれたのが、これです。
http://jonasmekasfilms.com/music/index.php?recording=01-03-2008
「うわぁ、すごい親近感」と、フレンチコンデンサー。
その後、近くのイタリアンでいっしょに夕食。しかもごちそうになってしまい・・・。「強いお酒をもうちょっと飲みましょう」と再びおうちに伺って、リトアニアの伝統音楽と、フレンチコンデンサーの音楽を交互にかけながら、FERNET-BRANCAというイタリアのお酒(ちょっと養命酒みたいな味)を飲みました。
フレンチコンデンサーが、「僕はちゃんと楽譜を読んだり書いたりできないし、こうしてギターを弾いてても、2度と同じ演奏はできないんです」というと、ジョナスさんが、「それでいい。同じことを2度する必要はない。私も同じことを2度繰り返したことはない」と話していたのが心に残りました。
そのあと、ジョナスさんがリトアニアのラッパを吹いたり、アコーディオンを弾いたり、セバスチャンがトゥルーリの正装である「帽子」「眼鏡」「髭」をまとって、「私はブルガリアから来ました」とおどけたり、めちゃめちゃ楽しい夜でした。
すごく長い日記になってしまったので、この様子はまた後日。